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高知地方裁判所 昭和48年(ワ)399号 判決 1984年3月19日

原告

尭天久幸

外一二名

原告ら訴訟代理人

山下道子

梶原守光

土田嘉平

山原和生

被告

深瀬澄子

右訴訟代理人

中平博文

被告

ケービイ観光開発株式会社

右代表者

福留福太郎

右訴訟代理人

岡林濯水

被告

高知県

右代表者知事

中内力

右訴訟代理人

中平博

外六名

被告

高知市

右代表者市長

横山龍雄

右訴訟代理人

中平博文

外五名

主文

一  被告高知県、同高知市は、各自、別表(一)記載の原告らに対し、それぞれ同表欄記載の金員及びうち金たる欄記載の金員に対する昭和四七年九月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  別表(一)記載の原告らの被告高知県、同高知市に対するその余の請求並びに被告深瀬澄子、同ケービイ観光開発株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

三  別表(二)記載の⑦ないし⑬の原告らの被告深瀬澄子、同ケービイ観光開発株式会社、同高知県に対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用中、別表(一)記載の原告らと被告高知県、同高知市との間に生じた分は、これを三分して、その一を右原告らの、その余を右被告らの各負担とし、右原告らと被告深瀬澄子、同ケービイ観光開発株式会社との間に生じた分は、右原告らの負担とし、別表(二)記載の⑦ないし⑬の原告らと被告深瀬澄子、同ケービイ観光開発株式会社、同高知県との間に生じた分は、右原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

第一  本件災害の発生とその機構等について

一請求原因1の事実<編注・本件災害の発生と原告らの地位>は、全当事者間に争いがない。

二  本件崩壊地及び周辺の状況

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1  地形

比島山は、標高43.8メートル、面積約2.2ヘクタールの小さな丘陵であり(この事実は、原告らと被告深瀬、被告県及び被告市との間では争いがない。)、その平面の状況は別紙図面(二)(以下「図面(二)」という。)表示のとおりであるが、大昔には、その名が示すように浦戸湾に浮かぶ小島であり、その後久万川その他諸河川が運ぶ土砂の堆積によりその周囲も陸地となり、平地上に突出する小丘陵となつた。

比島山の周囲は、戦前からの土砂採掘のためにその形状が変化している。特に比島山北側では戦前には、東寄り部分のみが採掘され、西寄り部分は図面(二)表示の北方の小山と連なつていたが、戦後になつて、南海大地震(昭和二一年一二月発生)による災害復旧のための土砂採掘を契機として西寄り部分が大々的に採掘され始め、昭和三〇年代初めまで継続されて図面(二)表示のような形状となつた。本件崩壊地を含む北斜面は、このように土砂が採掘された跡に残つた人工斜面であり、斜面災害を防止する措置等は全く施されていなかつた。そして、本件被害地は、右のように土砂が採掘されて平坦地となつた地域であり、国鉄高知駅から直線距離で約一キロメートルの位置にあることもあつて、昭和三〇年代前半頃から住宅が建ち始め、本件災害当時には、既に住宅密集地となつていた。

比島山の山頂部は、平坦地となつており、神社の境内地として相当な広さをもつていた。本件崩壊地の下端から山頂平坦地までの平均傾斜度は、ゆるやかなところでも三〇度を超え、急なところでは約四〇度に達していた。しかも、その斜面の形状は、複合斜面(別紙図面(三)参照)であるうえ、その上部には、山頂平坦地との落差が最大二ないし三メートルに及ぶ急崖が形成されていた。

2  地質

比島山の地質は、秩父古生層の粘板岩、チャート、砂岩からなり、上部(地表)から①砂岩(ただし、東端部のみであつて、本件崩壊地には存在しない。)、②粘板岩、③チャート(層厚約一五メートル)、④粘板岩の薄層(層厚約六メートル)、⑤砂岩(層厚約二〇メートル)、⑥粘板岩となつている。そして、その走向はほぼ東西に走り、傾斜は四五ないし五〇度北に傾いている。したがつて、本件崩壊地を含む北斜面は、地表の傾斜と地層の傾斜とが同方向にあり、いわゆる流れ盤をなしている(以上の事実は、右の①砂岩が本件崩壊地には存在しない点を除いて、原告らと被告県及び被告市との間では争いがない。)。

本件崩壊地の表層たる右②粘板岩の層は、片理がみられ準片岩状をなし、節理の発達も著しく風化が進んでいる。そして、その層厚は、場所によつて一様ではないものの、平均数メートルは下らない。本件崩壊は、この表層が崩落して生じたものである。これに対し、その直下にある③チャートの層は、岩質が非常に硬質かつ不透水性であり、右表層の基盤となつている。このチャー卜層が、本件崩壊においてすべり面を形成した。

3  植生

比島山山頂の平坦地は、従前、神社がまつられ、その境内の周囲には、杉、ひのき、くすのき、しい、かし等の樹木やその他の雑木が多く植生していたが、昭和四三年頃にはほとんどの樹木が伐採され、昭和四七年春頃には、杉、ひのき等の樹根も腐朽し、わずかの雑木が生え、下草が繁る程度になつていた。そして、本件崩壊地の北斜面部分は、前記のとおり土砂の採掘跡地であるため、さほど大きな樹木はなく、雑木が生育していた程度であつたが、右のとおり神社境内の樹木が伐採された際に、右雑木のうち主要なものもあわせて伐採され、本件災害当時には、比較的幼令で、高さは大人の背丈に近いくらいの雑木が点在し、その周囲に熊笹や下草が生えているにすぎなかつた。

以上の事実が認められる。証人開徳恵美子、同田内祐喜、原告尭天久幸、同北添哲男の各本人は、本件崩壊地の北斜面部分の植生状況について、本件災害当時には、右北斜面上の樹木は、若木に至るまですべて伐採されていた旨それぞれ右認定に反する供述をするけれども、同供述部分はいずれも前掲各証拠と対比してにわかに採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  本件災害当時の降雨状況

<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和四七年九月一三日午前三時に中国大陸沿岸の上海付近に発生した低気圧は、同日午後九時には北緯三二度東経一二四度の地点に達したが、中心から東にのびる温暖前線の影響を受け、高知県南西部(足摺岬)では同日昼頃からにわか雨が降り始めた。右低気圧は、翌一四日午前九時には朝鮮海峡、午後九時には日本海南部、一五日午前九時には日本海中部の北緯三九度東経一三二度の地点に進み、この時、低気圧の中心からのびる前線は、潮岬を経て奄美大島の南方海上に達した。これに伴つて高知県下では、一四日の日中は各地で強いにわか雨が降り、夜に入つて小止みとなつたものの、夜半すぎには寒冷前線の通過に伴つて再び強雨が降つた。

一方、ルソン島のはるか東の海上に発生した弱い熱帯性低気圧は発達して一三日午後〇時に台風二〇号となつた。この台風は、一日三〇〇ないし四〇〇キロメートルの速度で北上し、一五日午前九時には沖縄の南東五〇〇キロメートルの海上に達した。この頃から西日本上空には暖気が流れ込み、対流不安定となつて、高知市付近では同日午後から夜にかけて局地的大雨に見舞われた。台風二〇号は、一五日午後三時頃から進路を次第に北々東に変え、翌一六日午後六時半頃潮岬付近に上陸、一七日朝富山湾を経て北上した。

このような気象経過のなかで、高知県地方は、一三日午後から一五日昼頃までに県下全域にわたり一〇〇ないし二五〇ミリの降雨があつた(この事実は、原告らと被告県及び被告市との間では争いがない。)。前線の通過後、一時天気は回復したものの、台風二〇号の影響を受けて一五日午後二時前から高知市を中心に局地的な大雨が降つた。すなわち、比島山に近接する高知地方気象台(高知市比島町一丁目七番三号に所在)の観測結果によれば、一五日午後二時から翌一六日午前〇時までに260.5ミリの雨量があり、殊に一五日午後六時から七時、午後七時から八時までの時間雨量は、それぞれ1.5ミリ、60.5ミリを記録し(この各時間雨量は、原告らと被告深瀬、被告県及び被告市との間では争いがない。)、前者は、高知市における九月期の時間雨量としては過去の記録を更新するものであり、このような激しい集中豪雨の最中に本件崩壊が発生した。なお、右観測結果によれば、一五日の日雨量は三三七ミリ、一四日午前〇時から一五日午後七時までの継続雨量は388.5ミリであつた。

四  本件崩壊の発生機構等について

<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

本件崩壊は、おおむね次のような機構で発生した。すなわち、本件崩壊は、前記のとおりいわゆる流れ盤をなし、表層として片理、節理の発達した脆弱な粘板岩層をいただき、その下に硬質かつ不透水性のチャート層が存在する本件崩壊地において、継続的降雨とその後の激しい集中豪雨によつてもたらされた大量の雨水が、樹木の伐採によつて保水力及び地表緊縛力を失つた山頂平坦地や、採掘跡地であるなどのためにもともと保水力及び地表緊縛力の弱い北斜面を通じて粘板岩層に浸透し、更にチャート層の上面を伏流流下するうち、これによる含水膨潤のために表層のせん断抵抗力が著しく低下し、チャート層の上面をすべり面として表層の土塊が急激に下方へ移動することによつて発生したものである。

したがつて、本件崩壊は、右のような降雨を誘因として発生したことは明白であるが、その素因については、地形、地質、植生の状況等が複雑に関与しており、いずれが決定的であつたかはにわかに断定し難い。

ところで、斜面災害には、主に「崩壊」(いわゆる山崩れやがけ崩れである。)と「地すべり」とがあり、両者の区分について必ずしも統一的な見解があるわけではないが、それぞれの特徴を挙げて両者を対比すれば、おおむね別表(三)のとおりである。本件崩壊は、突発的に土塊が崩落している点では「崩壊」の特徴を呈しているが、他方、滑落崖にすべり面が存在し、土塊の移動につき、北斜面上の前記のような雑木をのせたまま土塊が落下する現象(マスムーブメント)がみられ、斜面脚部に湧水が生じて伏流水の存在を窺わせることなどからすれば、「地すべり」の性質をも兼ねそなえているものということができる。

第二  被告深瀬の責任について

被告深瀬が昭和四四年三月五日神社から本件土地を買い受けて以来、昭和四七年八月一五日まで同土地を所有していたことは、原告らと被告深瀬との間に争いがないところ、原告らは、被告深瀬の帰責事由として、本件土地の取得後、神社境内及び本件崩壊地の北斜面部分に植生していた樹木及び雑木をすべて伐採し、その後も何らの措置にも出ず無林地のまま放置したことを主張する。

証人開徳恵美子、同田内祐喜、原告堯天久幸、同北添哲男の各本人は、それぞれ右主張にそうような供述をしている。しかしながら、神社境内の樹木や北斜面部分の一部の雑木が伐採されたのが昭和四三年頃であつたことは、前記第一・二・3のとおりであつて、しかも、<証拠>によれば、右の伐採は、神社が、本件土地を被告深瀬に売り渡す以前に、神社の移転費用を捻出するために行つたものであることが認められるから、このような事実に徴すると、右各供述部分は採用し難く、他に被告深瀬による樹木等伐採の事実を認めるに足りる証拠はない。

もつとも、<証拠>によれば、被告深瀬は、本件土地の取得後、昭和四四年春と昭和四六年末の二回にわたり、本件崩壊地上の雑木の枝打ちをしたり、下草を刈つたりしたことが認められるけれども、このような行為が本件崩壊の原因になつたものとは到底認め難い。

以上のとおり、被告深瀬については、そもそも原告ら主張のような樹木等伐採の事実が認められないのであるから、同被告に対する原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

第三  被告会社の責任について

原告らは、本件災害当時、被告会社が本件土地を所有していたとして、民法七一七条の工作物責任を主張するので、まず、本件災害当時における被告会社の所有の有無について判断する。

<証拠>によれば、本件土地については、被告深瀬から被告会社に対し、昭和四七年一〇月三日に所有権移転登記がなされているが、その登記原因は同年八月一五日売買となつていること、被告深瀬は、本件土地の処分を管理人の竹内茂喜に委ねていたところ、同年六月頃天理教布教師森本治から買受けの申込みがあり、しばらくして同人との間に売買契約が成立したこと、森本治は、同月以降、本件土地を含む比島山一帯の土地を買収すべく地権者らと交渉を重ね、多くの土地についてほぼ合意に達していたが、同人には、右のような広範囲の土地を買い受けるだけの資力がなく、その背後に資金提供者がいたこと、吉本康男及び公文兼繁の両名は、森本治に対し右買収資金の一部を提供し、この資金は、被告深瀬らに対する売買代金の支払に充てられたこと、その後、右両名は、森本治から「親戚の者が買収資金を用意したから手を引いてくれ。」との要請を受けて、比島山の買収から手を引くこととなり、既に同人に提供していた資金は、昭和四七年一〇月二日に返済を受けたこと、右両名が手を引くことになつたのは、被告会社が森本治の要請を受けて比島山の買収に乗り出すことになつたためであり、被告会社は、森本治が既に売買契約を締結していた土地を同人から買い受けることにしたこと、吉本康男ら両名に対する返済金は、被告会社が売買代金として提供したものの一部が充てられたこと、以上の事実が認められる。

以上によれば、本件土地は、被告深瀬から森本治へ売り渡された後、更に同人から被告会社へ売り渡されたものと認められるから、被告会社が被告深瀬から直接買い受けたとする原告らの主張は、この点において既に事実と相違するのであるけれども、原告らの主張は、本件災害当時被告会社が所有者であつたことにあるから、以下、森本治と被告会社との間の売買契約の時期について検討する

右認定事実からすれば、森本治が吉本康男ら両名に対し「親戚の者が買収資金を用意したから手を引いてくれ。」と要請した頃に、森本治と被告会社との売買契約が成立したものと推認されるところ、原告発天久幸本人は、右要請の時期が昭和四七年八月初旬頃であつたことを推認させるような供述をするけれども、右認定事実、とりわけ吉本康男ら両名が資金の返済を受けたのは昭和四七年一〇月二日であつたこと等の事実及び証人森本泰子の証言と対比すれば、右供述部分を採用することはできない。かえつて、右認定事実に証人森本泰子の証言を総合すれば、右要請の時期は同年九月末であつたことが推認されるのであり、森本治と被告会社との売買契約が本件災害以前に成立していたことを認めるに足りる証拠はほかにない。

もつとも、前記のとおり被告会社への所有権移転登記の原因は、昭和四七年八月一五日売買となつているけれども、<証拠>によれば、被告深瀬から森本治への売買契約に基づく登記手続は、当初昭和四七年八月一五日に行われる予定であり、そのための必要書類はすべて準備されていたこと、ところが森本治は、他の土地に関する売買契約日が同年九月末であつて、本件土地についても、他の土地と同時に登記手続をしようと考えて、被告深瀬からの登記手続をしばらく留保していたこと、しかるところ、前記のような事情から本件土地につき被告会社との売買契約が成立したので、被告会社へ移転登記をするにあたり、被告深瀬から森本治自身に移転登記をすべく準備していた必要書類をそのまま流用したため、登記原因が同年八月一五日売買となつたにすぎないものであることが認められるから、右登記原因の記載をもつて、本件災害以前に被告会社の所有になつていた事実を認めることはできない。

以上のとおり、本件災害当時、本件土地が被告会社の所有に属していたことを認め難いのであるから、原告らの被告会社に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

第四  被告県及び被告市の責任について

一  県知事の権限

県知事は、公権力の行使にあたる公務員として、次のような権限を行使するものであることは、原告らと被告県との間に争いがない。

急傾斜地法によれば、県知事は、急傾斜地の崩壊による災害から住民の生命及び身体を保護するため(一条参照)、崩壊するおそれのある急傾斜地(傾斜度が三〇度以上の土地をいう。二条一項)で、崩壊により相当数の居住者その他の者に危害が生ずるおそれのあるもの及びこれに隣接する土地のうち、当該急傾斜地の崩壊が助長され、又は誘発するおそれがないようにするため七条一項各号に掲げる崩壊助長行為が行われることを制限する必要がある土地の区域を崩壊危険区域として指定し(三条一項)、これによつて崩壊危険区域内における右崩壊助長行為を制限するなどし、また、右制限行為に伴つて必要が生じた工事以外の崩壊防止工事で、土地所有者等の関係人が施行することが困難又は不適当と認められるものについては、被告県と長として、これを公共工事として施行する(一二条一項)などの権限を行使し得るものとされている。このように県知事は、崩壊危険区域指定の権限と崩壊防止工事施行の権限を有しているのである。なお、崩壊危険区域の指定がなされたときには、その旨が県知事から市町村長に通知され(三条三項)、これを受けた市町村長(防災会議を設置している市町村は市町村防災会議)は、市町村地域防災計画において、当該崩壊危険区域ごとに、情報の収集及び伝達、災害に関する予報又は警報の発令及び伝達、避難、救助その他崩壊危険区域内における崩壊による災害を防止するために必要な警戒避難体制に関する事項を定めるものとされている(二〇条)。

二  高知市長の権限

高知市長は、公権力の行使にあたる公務員として、次のような権限を行使するものであることは明白である。

地方自治法二条三項一号、八号、同条四項によれば、被告市は、基礎的な地方公共団体として、住民の安全を保持するなどの防災事務を処理するものとされ、基本法五条一項、四二条一項によれば、被告市は、住民の生命、身体及び財産を保護するため、防災基本計画に基づき高知市地域防災計画を作成し、これを実施する責務を有するものとされ、同法四二条二項によれば、高知市地域防災計画のなかには、防災のための調査研究、教育及び訓練その他の災害予防、情報の収集及び伝達、災害に関する予報又は警報の発令及び伝達、避難その他災害応急対策並びに災害復旧に関する事項について定めるものとされている。そして、このような責務を全うするために、高知市長は、法令又は防災計画の定めるところにより、災害に関する情報の収集及び伝達に努めなければならず(五一条)、また、災害が発生し、又は発生するおそれがある場合において、人の生命又は身体を災害から保護し、その他災害の拡大を防止するため特に必要があると認めるときは、必要と認める地域の居住者、滞在者その他の者に対し、避難のための立退きを勧告し、及び急を要するときは、これらの者に対し、避難のための立退きを指示することができる(六〇条一項)ものとされている。以上のような被告市の責務や右規定内容等に鑑みれば、高知市長は、ある地域において災害発生の危険性があり、その危険性が切迫していることを知り得たときには、その危険性を付近住民に知らしめて十分な警戒を促す権限をも行使し得るものと解するのが相当である。けだし、危険性を知らせることは、まさに「情報の伝達」(五一条)といえるのみならず、これによつて、住民の自主的な防災活動を期待できるとともに、住民からより詳細な防災情報が迅速に入手でき、避難の勧告・指示の権限行使にも資するものであつて、防災上極めて有益な手段と考えられるからである。

三  いわゆる行政の不作為責任について

右に述べたような公務員たる県知事及び高知市長の各権限について、これを行使するか否か、行使するとした場合の時期、方法等の選択についての判断は、原則として当該公務員の自由裁量に委ねられているものである。しかしながら、法が公務員に裁量権を委ねた趣旨は、公務員の恣意を許すというものではなく、具体的状況に即応した公務員の合理的な措置を期待してのことであるから、①住民の生命、身体及び財産に対する法益侵害の具体的な危険が切迫し、かつ、公務員において、これを予見することが可能であること(具体的危険性の存在とその予見可能性)、②具体的事情のもとで、公務員が当該権限を行使することが可能であり、かつ、その権限の行使によつて法益侵害の発生を防止できること(権限行使の可能性と結果回避可能性)、③住民にとつて、自らが法益侵害の発生を防止することは困難であり、公務員に権限の行使を期待せざるを得ない事情にあること(権限行使への期待相当性)、以上の各要件を充足するにもかかわらず、公務員が当該権限を行使しないときは、裁量権につき著しい不合理があるものとして違法の評価を免れないものと解するのが相当である。

すなわち、右の各要件を充足するときには、公務員について、当該権限を行使すべき義務が生ずるのであるから、その懈怠によつて住民に対し法益侵害の結果を生じさせた場合には、公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、過失によつて違法に他人に損害を加えたものとして、地方公共団体は国家賠償法一条一項によりこれを賠償する責任がある。

以下、このような見地から被告県及び被告市の責任の有無を検討することとする。

四  本件崩壊地の具体的危険性について

1被告県及び被告市の責任の有無を論ずるにあたり、まず双方に共通すると考えられる本件崩壊地の具体的危険性から検討することにする。

2<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一) 比島山のような平地に突出した小丘陵における斜面災害から住民の生命、身体及び財産を保護する観点からすれば、急激に土塊の移動が生ずる現象が最も脅威となる。この急激に土塊の移動が生ずる現象は、基本的には「崩壊」にあたるものと考えられるが、なかには「地すべり」の特徴を呈する現象もあるので、本件崩壊地のような斜面の危険性を判断するためには、「崩壊」の発生の危険性を検討するとともに、あわせて「地すべり」の定性的要因をも考慮することが必要である。

(二) そこで、まず「崩壊」の定性的要因をみるに、素因としては地形、地質、植生等が、誘因としては豪雨、地震等が考えられている。本件崩壊のように降雨を誘因とする場合において、各要因につき、一般的にいつて、いかなる状態にあるときに発生の危険が高いかを示せば、次のとおりである。

(1) 地形

斜面の傾斜度が三〇度を超えると崩壊の発生頻度が高くなり、四〇度前後の斜面が最も危険である。

斜面の形状には、別紙図面(三)表示のとおり、大別して下降斜面、複合斜面、平衡斜面、上昇斜面の四種類があるが、そのうち、複合斜面における発生が最も多く、下降斜面がこれに次ぐ。

そして、人工的に形成された斜面は、自然斜面と比べ、土質の変化と水の地下浸透の増加等のため発生の危険が高い。

(2) 地質

斜面を形成する土塊の性質による影響が大きく、厚い風化表土、火山石屑堆積層、細かい節理の著しく発達した岩石、軟弱な砂質堆積岩等で崩壊が生じやすい。

(3) 植生その他

樹木は、降雨の地表への到達や地下への浸透を減殺し、その根系の発達によつて表土緊縛力が強化されて土塊のせん断抵抗力を増加させる機能をもつので、原則として崩壊防止に役立つ。したがつて、無林地や幼年林地ほど崩壊が発生しやすい。なお、樹木を伐採した箇所においては、その直後よりも三、四年経過した頃の方が樹根の腐朽によつて、樹根の保水力と表土緊縛力が失われて崩壊の危険が高い。

そのほか、湧水があつたり、斜面の上方が平坦地で集中しやすいところは、危険が高いとされている。

(4) 降雨

崩壊において、誘因である降雨は、最も有力な因子である。雨水は、通常、岩屑層又は地山に平素から存在する多数の水径を通じて特に集中的に浸透する場合が多いところ、その水径にほどほどの地下水が浸透する程度ならば、たとえ全体的に湿潤の状態になつたとしても崩壊が生ずるとは限らないが、そのように全体的湿潤の状態にあるところへ、一時的多量浸水による地下はん濫が生ずると、その水圧のために崩壊が発生すると考えられている。したがつて、相当量の継続的降雨があつてしかる後に多量の降雨があつたときには、崩壊の危険が高くなる。

そして、先行雨量の程度や地域条件によつてかなり異なるものの、一応の目安となり得る崩壊頻発の限界雨量は、日雨量二〇〇ミリ、三時間雨量一〇〇ミリ、時間雨量二〇ミリ程度である。ちなみに、昭和四四年から昭和四五年にかけて発生した崩壊(がけ崩れ)の実態調査では、その八〇パーセント以上は、降り始めてからの雨量が一〇〇ミリを超えた場合に、時間雨量では二〇ミリ以上の場合に発生していることが明らかにされている。

右(1)ないし(3)のような素因の全部又は一部があるときに、(4)のような降雨を誘因として「崩壊」が発生するに至るのであるが、その前駆現象として斜面上部にクラックが生じることがあり、そのようなときには、雨量の如何によつて崩壊の危険は一層高くなり、早急に何らかの防災対策が必要といわれている。そして、それから更に進んで、①クラックのずれる現象、②湧水が濁つたり、止まつたりする現象、③斜面の小石や岩石のかけらがパラパラと落下する現象等が生ずることがあるが、そのうち二つ以上の現象が生ずれば、直ちに避難しなければならないといわれている。

(三) 次に「地すべり」の定性的要因についてみるに、急激に土塊の移動が生じるような現象で、「地すべり」の特徴を兼ねそなえているものについて、その発生の素因が「崩壊」の場合と比べてどの程度異なるのかは必ずしも明確ではないけれども、「地すべり」の最大の特徴は、地すべり粘土又は地すべり面の形成といわれており、これにあずかるような条件としては、特に地質の影響が大きいといわれている。また、地下水との関係では、浸透水よりも伏流水の影響が大であり、伏流水が形成されやすい地形や地質に「地すべり」が多く発生する。

そして、「地すべり」については、「崩壊」以上に、クラック、クリープ(地層の移動によるずれ)といつた前駆現象が生じることが多く、このような現象が認められるときには、「地すべり」発生の危険性は著しく高いといわれている。

以上の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

3そこで、本件崩壊地における斜面災害の危険性について検討する。

まず、本件崩壊地の地形、地質、植生の状況は、前記第一・二のとおりである。これを要約すると、本件崩壊地は、土砂の採掘跡地の人工斜面であつて、自然斜面と比べてもともと安定性を欠くうえ、傾斜度が三〇ないし四〇度で、かつ、複合斜面の形状を呈し、最も崩壊しやすい地形となつていた。地質は秩父古生層からなつていたが、表層の粘板岩は、著しく風化が進み、脆弱であつて崩壊しやすく、これに対し基盤となつているチャート層は、硬く不透水性であるため、地下水が伏流流下し、地すべり面を形成しやすくなつていた。そして、斜面部分の上方には平坦地があり、しかも、その平坦地に多く植生していた大きな樹木や北斜面部分の一部の雑木は、昭和四三年頃に伐採され、平坦地にあつた杉やひのき等の樹根は、伐裁後四年くらい経過した昭和四七年春頃には腐朽し、そのため、表土緊縛力が失われるとともに、保水力も失われて地下水の浸透、伏流等を促進する状況になつていたものである。

そして、<証拠>を総合すれば、本件崩壊の前駆現象等として、①前記のとおり昭和四三年頃に山頂平坦地及び北斜面部分の樹木等を伐採してから三年後に、伐裁樹根の腐朽が進むのに符合するかのように、大雨の時とその後には、図面(一)表示のダケ岩のうち東側のダケ岩付近に大量の湧水が見られるようになつていたこと、②本件災害の二、三年前頃、山すそ道路を原告八木方より更に数十メートル東へ行つた藤川宅前で比島山北斜面が崩壊し、続いて図面(一)表示の原告尾原方西隣りのK宅前でも比島山北斜面が崩壊し、いずれの場合も、崩落土砂が道路を埋め尽して通行に支障を来たす程度の被害にとどまつたが、崩壊したいずれの表層も本件崩壊地の表層と同質であつたことのほか、次のとおり、最も有力な前駆現象の一つといえる③クラックの発生の事実が認められる。

すなわち、本件土地は、もと高知市比島町二丁目一四一番一、同番三、一八八番の三筆を昭和四四年三月三一日に合筆したものであるところ、合筆前の一四一番一及び同番三の両土地は、昭和一五年当時、有澤磯衛の所有に属していたが、前記のような比島山北側の東寄り部分の土砂採掘により、図面(二)表示の裏参道(石段)を登りつめた地点から東側の付近一帯にクラックが生じ、地元住民の間に、山頂の神社境内が崩壊するのではないかとの不安がたかまつたため、有澤は、神社境内地たる一八八番の土地に隣接する右二筆の土地は採掘しないとして、同年一一月二〇日神社にこれを寄付したものであり、これによつて右のクラック騒動は一応の解決をみた。しかしながら、前記のとおり、戦後、南海大地震の災害復旧のための土砂採掘を契機として比島山北側の西寄り部分が大々的に採掘されるに伴つて、昭和二五年頃までの間に、本件災害当時の本件崩壊地の北斜面上部付近に落差五〇センチメートルくらいの段落らが生じていた。このように、比島山北斜面には、過去クラックや段落らが生じており、土砂採掘の影響を強く受ける地質、地形であることが明らかなところ、その後も昭和三〇年代前半まで土砂採掘が続けられた。この土砂採掘によつて右クラックや段落らがどのように変化したかは定かではないが、昭和四三年六月頃に至つて、神社は、土砂採掘の影響を受けて境内自体が崩壊するおそれがあることなどを危惧して、山頂平坦地から比島山北東部の山すそに移転した。そして、その直前頃に、前記のとおり、神社境内の樹木や本件崩壊地北斜面の一部の雑木が伐採され、昭和四七年春頃には、既に杉、ひのき等の樹根が腐朽していたのであり、この間、右伐採と樹根の腐朽の進行により、本件崩壊地の保水力及び表土緊縛力は次第に失われ、現に、保水力については、前記のとおり、樹木等伐採後三年経過してから大量の湧水を見るようになつていた。ところで、一般にクラックは、崩壊部分の上部に数条が並列的にでき、そのうち最大のクラックを境にして崩壊が発生し、したがつて、その上方のクラックは残存して現認できることが多いといわれているところ、本件崩壊地については、本件災害後、崩壊部分のやや上方に数条のクラックが現認されており、そのうちの一つが甲第八号証の四、五の現場写真に写されているクラックである(もつとも、これに写されている大きな段差自体までが本件災害以前に発生していたとは認め難い。)。以上に述べたような事実を総合勘案するならば、戦前から昭和二五年頃までに発生していたクラックや段落らが、その後も存続していたか否かはともかく、その後の土砂採掘と樹木等の伐採等を起因として、遅くとも昭和四六年頃から後記四七総点検が実施された時点までの間には、本件崩壊地上部に数条のクラックが発生し、かつ、これが発展しつつあつたものと認められる。

以上に述べたような地形、地質、植生といつた素因の状況や、クラックの存在、湧水の発生、近隣での崩壊といつた前駆現象等を総合考慮すれば、とりわけ斜面災害の最も有力な前駆現象といわれ、これがあるときには何らかの防災対策が早急に必要といわれているクラックが存在していたことに照らし、本件崩壊地における斜面災害発生の危険性は著しく高く、前記のような崩壊頻発雨量、すなわち継続雨量一〇〇ミリ、時間雨量二〇ミリを超える集中豪雨があるときには、斜面災害が発生して住宅密集地たる本件被害地上の住民の生命、身体及び財産を侵害する具体的な危険が切迫していたものと認められる(以下、このような意味で「具体的危険性」という。)。

五  県知事の予見可能性について

1  急傾斜地実態調査の経過

高知県下においても、本件災害前に建設省指示による急傾斜地の実態調査が都合四回実施されていたことは、原告らと被告県との間に争いがないのでこの事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 斜面災害は、わが国においては、地形、地質や気象条件などから自然現象のなかでも特に発生比率が高いのであるが、昭和三三年頃から特に急増の傾向がみられ、なかでも昭和四二年七月には、台風七号くずれの低気圧が梅雨前線を刺激し、九州西北部をはじめとして中国・近畿地方へと縦断的に大雨を降らせ、長崎、佐賀、広島、兵庫の各県においてがけ崩れにより死者・行方不明者一四六人にも及ぶ大災害が発生し、昭和四四年に急傾斜地法が制定される直接の契機ともなつた。このような増加傾向の理由は、わが国経済の急速な発展に伴い、人口が都市に集中し、都市の過密化と都市周辺の山地丘陵の開発が進むなか、無秩序な宅地造成等の開発行為もあつて、特に市街地周辺のがけ崩れによる災害が多発していることにある(なお、建設省河川局急傾斜地法研究会編「急傾斜地法の解説」二三ページ参照)。

このような状況のなか、建設省は、昭和四二年に初めて急傾斜地の全国実態調査を実施した。これは、傾斜度が三〇度を超え、面積が一ヘクタール以上あり、かつ、急傾斜面の直高が五メートル以上あるものを急傾斜地としたうえ、①崩壊のおそれの多い急傾斜地で、かつ、②人家五戸以上又は官公署、学校、病院等の公共的建物に著しい被害を及ぼすおそれのあるものを調査対象地とし、これについて、地形(勾配・長さ・高さ・面積)、地質(地質・土層の深さ)、その他の自然状況(地表水・地下水の状況・地被物の状況)、被害区域内の現況(人家、公共的建物、公共的施設等の種類及び数など)及び対策工法(種類・工事費所要額)を調査し、もつて、急傾斜地対策の基礎資料とするというものであり、被告県は、建設省の指示を受けて右調査にあたつた。なお、被告県は、右調査とは別途に、昭和四二年一二月、「山地が八〇パーセント以上を占める本県としては、特に今後このようながけ崩れによる災害の発生する危険度は非常に高いものがあると予測され」るといて、全国に先駆けて「がけ崩れ住家防災対策調査班」を設置し、がけ崩れ防災対策に本格的に取り組む旨通達し、昭和四三年二月頃、市町村の協力を得てがけ崩れ危険箇所の実態調査を実施した。

その後、昭和四四年八月一日から急傾斜地法が施行されたことに伴い、同月五日付で建設省河川局砂防部長から急傾斜地の再調査の通知が出され、これを受けた被告県は、指示された調査期間(同月一〇日から九月一〇日まで)内に再調査を実施したが、調査の内容は、急傾斜地の要件につき面積一ヘクタール以上という条件を除外したことのほかは、昭和四二年の調査内容を踏襲していた。次いで、昭和四六年一〇月一四日付で建設省から急傾斜地崩壊危険箇所の総点検の通知があつた。この総点検の目的は、最近未調査区域において災害が多発している実情に鑑み、調査漏れのないよう再度実態調査を行い、急傾斜地対策の全体計画策定等の基礎資料とするということにあつたが、調査の内容自体は、がけ崩れ災害に対する意識調査が付加されたほかは従前と同様であつた。右通知を受けた被告県は、県下の各市町村の協力を得て同年末頃までに総点検を実施した。

なお、昭和四四年の再調査の対象となつたのは、高知県下で一六四か所、高知市内で九か所あり、また、昭和四六年の総点検で対象となつたのは、高知県下で四〇三か所、高知市内で一七か所であつたが、昭和四二年の調査の際はもとより、右二回の調査においても、比島山は対象とされなかつた。

(二) 昭和四七年七月五日、高知県香美郡土佐山田町繁藤地区において、折からの集中豪雨に起因して追廻山の山腹が幅一七〇メートル、長さ一五〇メートルにわたつて崩壊し、死者・行方不明者六〇人、重軽傷八人に達するほどの大惨事が発生した。

この大災害を契機に、被告県は、翌六日付をもつて県下の各市町村に対し、危険箇所の総点検を要請していたところ、同月一一日付で建設事務次官から「特に今回の集中豪雨による四国、九州及び東北地方の災害においては、急傾斜地の災害、土石流等の土砂害による人命等の被害が顕著であることに鑑み、関係市町村その他の関係機関との緊密な連絡及び協力のもとに、これら土砂害による災害の発生が予想される危険箇所の総点検を別添要領により早急に実施し、点検によつて得られた結果を付近住民に周知徹底せしめるとともに、緊急時における警戒避難体制の確立に万全を期せられたい。なお総点検により必要と認められた箇所については、速やかに崩壊危険区域の指定を行い、管理の徹底を期されたい。」旨の四七総点検実施の通知を受け、更に建設省河川局砂防部長から「実施要領」の送付を受けたので、被告県は、改めて同月二五日付をもつて各市町村に対し、四七総点検の実施を指示した。被告市は、右指示を受けて高知市内の実態調査を実施し、被告県への結果報告は、八月二〇日までになされた。

以上のような経緯で実施された四七総点検は、急傾斜地崩壊危険箇所として、①傾斜度三〇度以上、高さ五メートル以上の急傾斜地で、②想定被害区域内に人家五戸以上(ただし、被告県においては、独自に人家一戸以上としていた。)又は公共的建物がある地域をすべて調査するというものであり、まず調査対象を明確にし、かつ、広く取り上げるという点で従前の実態調査にない特徴を有していた。そして、「実施要領」により指示された調査方法や調査事項も、次のとおり詳細であつた。すなわち、右急傾斜地崩壊危険箇所の調査に先立ち、まず急傾斜地帯調査として、空中写真、地形図、地質図等を利用しての図上調査により、おおよその傾斜度、高さ、地質、人家戸数を把握して、傾斜度三〇度以上、高さ五メートル以上の急傾斜地で、想定被害区域内に人家一戸以上又は公共的建物がある地域を取り上げ、なお、これについて、最寄りの観測所の観測値に依拠して、既往最大雨量(連続雨量・日雨量・時間雨量)、崩壊発生時雨量(連続雨量・日雨量・時間雨量)、雨量確率(一〇〇日に一回の雨量・五〇日に一回の雨量・既往最大日雨量の確率値・崩壊発生時日雨量の確率値)を調査することとし、続いて、この急傾斜地帯調査結果に基づいて現地調査を行い、前記のような条件を満たすところを急傾斜地崩壊危険箇所として取り上げ、かつ、その危険度を判定することにしたものであり、そのために、実際に現地にあたつて傾斜度、高さ、人家戸数はもとより、オーバーハングの有無、表層の地質の種類(花こう岩、砂岩といつた区分)、状態(軟岩、風化又は亀裂の著しい岩、硬質粘土、関東ローム、砂利その他これに類するもの、かたい赤土砂、真砂土その他これに類するもの、以上の四つに区分されている。)及び厚さ(0.5メートル以上か否かで区分)、湧水等の有無(なお、急傾斜地の上方に奥行一〇メートル以上の平坦地がある場合は、湧水、流出水が大きくなるので湧水等があることにする。)、現在又は過去の崩壊の有無、地被物の状況(裸地、草地、一〇年未満の幼令林及び伐採跡地、それ以外の林地、以上の四つに区分されている。)等の事項についても調査するものとされ、また、急傾斜地崩壊危険箇所の危険度の判定については、別表(四)記載のような点数制基準が定められており、これによれば、自然力により形成された斜面及び過去に人工を加えたものであつてもその後自然の力により変形等が加わり自然斜面と見分けがつかない斜面を自然斜面とし、切土、盛土、構造物の設置等人工が加わつている斜面を人工斜面とし、それぞれにつき、右の調査事項に点数を配して、点数の加算による危険度のランクづけがAないしCの三段階に行えるようになつていた。

そして、四七総点検の実施に際しては、まず建設省において、都道府県の担当者を集めて講習会が開催され、建設省係官から「実施要領」にそつた指導説明がなされた。その後、被告県は、県下の各市町村に対する説明会を実施したが、被告市の調査担当職員に対する説明会は、昭和四七年八月一日に行われ、この席上において、被告県の担当職員から、建設省の指導内容に基づいた調査方法及び調査事項の解説があり、その際、「実施要領」に触れられていない事柄、例えば湧水や過去の崩壊の有無等に対するヒヤリング調査の必要性などについても説明がなされた。

なお、被告県は、右説明会に先立ち、各市町村に対し、四七総点検の参考資料として、「着眼点」(昭和四六年一〇月作成)を送付していたが、この着眼点は、地質、地形、植生その他の定性的要因につき現地調査の方法と危険度判定の基準を簡潔に記したものであり、その要点を抜粋すれば、次のとおりである。すなわち、まず地質については、表土層、強風化層は崩壊しやすいこと、地層間の境界線がすべり面になったりして崩壊が生ずること、不透水層があるときには、その上面を地下水が流れ、斜面表面に湧水として出現することがあるが、このような地下水のはたらきによつて崩壊の発生する危険があること、流れ盤は受け盤より概して危険であること等が危険度判定の参考基準として記載され、調査方法については、「露頭が不明瞭な場合は沢筋をできるだけ歩き、露頭から推定し地質を判定する。」「近隣での崩壊ですべつた地層の境界面をよく見る――崩壊は同じような地層の境界面で起こる……」「二つ以上の地層、例えば砂岩と泥岩があつたらその境界面が斜面のどこに出るかを見る。また、それが地形的な境界(例えば傾斜の変換点)として表われているかどうかを調べる。――境界面がすべり面になつたり、水の供給源になつたりすることがある。」「透水しにくい層はどれか。――地下水は、この地層の上面から斜面の表面に湧水として出てくることがよくある。湧水箇所は赤くなつていることが多い。」などと、細かい外表観察によつて地層の特徴を調査する方法が明示されていた。そして、地形については、オーバーハングがあつたり、斜面の上方に平坦地があつたりすると危険であることなどが、また植生については、伐採跡地は危険であつて、特に伐採後数年経過しているものは最も危険であることなどがそれぞれ記載され、更に、斜面の上部又は中部にクラック又は段落らがあり、特にクラックが新しく、又は幅が拡大しつつあれば非常に危険であることが強調されていた。

2  予見可能性

(一) 原告らは、県知事はまず昭和四四年の再調査の期間満了日である昭和四四年九月一〇日までに、もしこれが認められないとしても、昭和四六年の総点検の調査結果提出期限である昭和四六年一二月二五日までには本件崩壊地の具体的危険性を予見し得た旨主張する。

前記第四・四・3認定の事実によれば、右の各時点において、本件崩壊地の具体的危険性が存在していたかどうか必ずしも明確ではないが、この点をしばらくおくとしても、右の各時点における予見可能性は認め難いものといわなければならない。すなわち、右1に述べたとおり、昭和四六年までの急傾斜地の実態調査は、建設省の指示が、調査対象について、先験的に「崩壊のおそれの多い」急傾斜地とし、「崩壊のおそれ」を判定するための客観的基準を何も示していなかつたため、後記のとおり県知事に具有することが要求される調査能力を考慮しても、高知県下に数多く存在するであろう危険性の高い急傾斜地がすべて調査されるとは限らない性質のものであつたのであり、現に、比島山は前記のとおり昭和四六年以前には調査の対象になつてなく、かつ、この点につき県知事に格別の非を認めるに足りる証拠もない。したがつて、昭和四六年以前には、本件崩壊地に対する実態調査の機会自体が必ずしも確保されていたとは限らないから、県知事にとつて具体的危険性を予見することは困難であつたといわなければならない。

以上のとおり、右の各時点における予見可能性の存在は認められないから、右各時点における県知事の崩壊危険区域指定義務及び同義務の履行を前提とする崩壊防止工事の施行義務は発生する余地がない。そうすると、前記各時点における右各義務の発生を前提とする原告らの請求(人損及び物損)は、その余の点について判断するまでもなくすべて理由がない。

(二) 次に、一部原告らは、県知事は四七総点検の実施期限である昭和四七年八月二〇日の時点には本件崩壊地の具体的危険性を予見できた旨主張するので判断するに、右1に述べたような被告県による四七総点検の経過及び内容からすれば、その実施の最高責任者であり、かつ、急傾斜地法上の各種の権限を行使し得る立場にある県知事としては、高知市内における四七総点検の調査結果報告が昭和四七年八月二〇日までに被告市から提出されているのであるから、この結果報告の整理確認に最大限必要な日数を考慮しても、遅くとも同月三一日の時点においては本件崩壊地の具体的危険性を予見できたものといわざるを得ない。

すなわち、四七総点検は、それまでの急傾斜地の実態調査と異なり、傾斜度三〇度以上、高さ五メートル以上、人家五戸以上(高知県下では人家一戸以上)の箇所はすべて調査するということで実施されたものであるから、右条件を満たす本件崩壊地は、当然その対象とされることになつた。

ところで、急傾斜地法四条、五条によれば、県知事は急傾斜地に対する調査権限を有するものとされている。これは、同法上の各種の権限を行使する前提として、まず対象地の危険性を把握するためのものであり、これを適切に行使するためには、当然これに応じた調査能力が必要であることに照らせば、同法は、県知事に対し右調査能力を具有することを要求しているものと解される。四七総点検において、県知事が、右調査能力を発揮しながら「実施要領」や「着眼点」に依拠した調査を尽しておれば、本件崩壊地の具体的危険性は十分に予知できたものである。

すなわち、本件傾斜地に登つて現地踏査を実施すれば、まず簡単な外表観察を行うだけで、本件崩壊地が三〇ないし四〇度の傾斜度をもつ複合斜面で、その上方には平坦地が存在していること、その平坦地上にはほとんど樹木はなく、腐朽した大木の樹根が残る程度であること、北斜面上部には最大二、三メートルに及ぶ急崖が形成されていることが容易に現認できた。そして、右急崖の存在等に鑑みて斜面上部付近を詳細に観察すれば、クラックの存在及びその発展状況を確認することが可能であつた。また、付近住民に対するヒヤリング調査を行えば、北斜面部分が土砂採掘跡地の人工斜面であること、昭和四三年頃に平坦地から北斜面部分にかけて大木を含むほとんどの樹木が伐採されたこと、右伐採後の昭和四六年頃から北斜面脚部に大量の湧水が出るようになつたこと、本件災害の二、三年前に近隣で小崩壊が続いて二回発生したこと等を把握することができた。他方、地質に対する調査は、必ずしも容易ではないけれども、本件崩壊地の表土層が著しく風化が進み脆弱であつたことを見極めるのは、さほど困難ではない。また、<証拠>によれば、比島山のように岩石から生成されていて、しかも、その周囲が採掘され人工斜面となつている地域では、露出面などを手掛りにして外表観察によつて地層の状況を推定することが可能であることが認められ、「着眼点」においても、このことを前提にして前記のような地層の調査方法が記載されていたものと考えられるから、北斜面脚部に大量の湧水が出ていた事実をも勘案すれば、少なくとも、本件崩壊地の基盤が不透水層であつて、伏流水が生成されやすいような地質であることぐらいは調査確認し得たものと認められる。

しかして、このようにして調査確認し得る各種の定性的要因の危険度については、「実施要領」が点数制基準を提示していたところであり、この点数制基準によれば、本件崩壊地は、採土跡地であるが斜面災害防止措置は何も施されておらず、雑木が生え、下草が繁茂する状態であつたのであるから、「自然斜面」として扱われるべきところ、本件崩壊地の各要因に対する配点は、高さが一〇メートル以上で七点、表土の厚さが0.5メートル以上なので一点、湧水があることで一点、近隣に崩壊が発生していることで三点、以上合計で一二点となり、九点以上のAランクに該当することとなり(なお、右基準では、クラックの有無は何も考慮されていないが、それでも本件崩壊地はAランクに位置づけされることに留意されなければならない。)、また、「着眼点」においても、前記のとおり「非常に危険である」などの表現で危険度が示されており、殊にクラックについては、「新しく、また幅が拡大しつつあるときは、非常に危険である」と記載されていたうえ、そもそも、調査能力の具有を要求される県知事としては、少なくとも容易に入手し得る参考図書に記載されている程度の知識は当然知悉しておくべきと解されるから、以上のような資料や知識を総合して判定すれば、右に述べたような定性的要因をそなえている以上、本件崩壊地につき、降雨を起因として斜面災害の発生する危険が著しいことを予知できたものと認められる。

そして、前記第四・四・2の事実に、<証拠>を総合すれば、急激に土塊の移動が生ずる斜面災害の危険性を検討する場合、それが地すべり的特徴を有するものであつても、「崩壊」と同様、降雨との関係は否定できないことが認められるところ、「崩壊」と降雨量との関係については、前記のとおり継続雨量が一〇〇ミリ、時間雨量が二〇ミリを超えれば発生の頻度が高くなると一般にいわれているところであり、県知事としては、このような事柄は当然知悉しておくべきと考えられる。のみならず、前記のとおり四七総点検においては、「実施要領」により、急傾斜地帯ごとの各種雨量データの調査が要求されていたのであるから、この調査を実施すれば、降雨量と崩壊との相関が地域ごとに、かつ詳細に認識し得たものと認められる。なお、このような降雨量調査が行われた形跡は窺えないのであるが、<証拠>によれば、高知県は、日本でも降雨量の最も多い地方の一つとなつており、県下全域にわたり年間降雨量は二〇〇〇ミリを超えていること、季節的には、梅雨から秋雨までの時期に降雨が多く、なかでも八月、九月の台風の影響による降雨が最も大きいものとなつていること、昭和六年から昭和三五年までの高知市における月別降雨量をみると、最大日降雨量は、一年を通じて一〇〇ミリを超え、特に八月、九月期のものは三〇〇ミリを超えており、また、最大時間雨量は、一月期を除きいずれの月も三〇ミリを超え、五月から一〇月にかけては六〇ミリを超えていることが認められるから、右のような崩壊頻発の降雨量は、常にあり得るものといわなければならない。

しかるところ、前記のとおり高知市内の調査結果については、昭和四七年八月二〇日までに被告県へ報告されていたが、<証拠>によれば、右報告にかかる前記各要件(ただし、人家については一戸以上)に該当する急傾斜地崩壊危険箇所は二八七もあつたことが認められるから、右調査報告のあつた時点で直ちに県知事が本件崩壊地の具体的危険性を予見し得たとすることには、いささか無理があり、そのためには、少なくとも右調査報告の整理確認に要する日時は必要であつたといわざるを得ない。しかし、あくまでも整理確認にすぎないのであるから、これに要する日時を最大限考慮したとしても、同月三一日までには可能であつたというべく、したがつて、県知事は、遅くとも右時点においては本件崩壊地の具体的危険性を予見できたものと認められる。

(三) これに対し、被告県は、四七総点検において急傾斜地法三条一項に基づき高知市長から報告のあつた調査結果によれば、比島山は、県基準で最下位のDランクであり、点数制基準を適用しても最下位のCランクに該当するにすぎなかつたから、県知事としては、本件崩壊地に崩壊の抽象的危険性があることすら予見することはできなかつた旨主張する。

たしかに、<証拠>によれば、四七総点検において、被告県は、急傾斜地の危険度のランクづけに限つては、「実施要領」の点数制基準と異なり、「崩壊、直接人家に被害あり」をAランク、「崩壊、再度直接人家に危険甚大」をBランク、「クラック発生、放置すると危険大」をCランク、「現象はないが危険」をDランクとする県基準を設け、これによるランクづけを被告市に指示していたところ、被告市から報告のあつた調査結果によれば、比島山は右のDランクであり、その内容の詳細は、傾斜度六〇度、高さ四〇メートル、オーバーハングないし、表土の厚さ0.5メートル以上、湧水なし、崩壊なしというものであつたが、六〇度という傾斜度は比島山南斜面におけるものであり、本件崩壊地の傾斜度は前記のとおり四五度未満であつたから、この点を考慮して点数制基準を適用してみても、本件崩壊地に対する配点はわずか八点であり、自然斜面としてはBランク、人工斜面としてはCランクに該当するにすぎないものであつたことが認められる。

しかしながら、<証拠>によれば、四七総点検において昭和四七年八月上旬に比島山の調査にあたつた被告市職員野町昭蔵外二名の職員らは、比島山の山すそを歩きながら一見して明らかな事項を確認する程度の調査しか行つておらず、急傾斜地の実態調査にあたつて当然要求される、山へ登つたり、住民からヒヤリングを行うなどの調査を全く尽していないこと、殊に、本件崩壊地を含む北斜面については、その北方に位置する図面(二)表示の旧国道から遠望しただけで切土や伐採の跡がないものと速断し、山すそを踏査することすら十分に行わず、わずかに図面(一)表示の原告尾原方西隣りのK方前付近にまでしか立ち入つていないこと、以上のような調査の結果に基づいて右のような調査報告がなされたことが認められるところ、このような調査の方法ないし内容は、「実施要領」、「着眼点」及び前記のような被告県職員の口頭説明に著しく反する杜撰なものといわざるを得ない。したがつて、その調査結果は、当然正確性を欠き、そのまま採用することはできない性質のものであるから、県知事が右調査結果のゆえに予見不可能であつたということはできない。

もつとも、右のような杜撰な調査を現実に行つたのは被告市職員であつて、被告県はそれ自体に直接関与しているものではない。しかしながら、前記第四・五・1の急傾斜地実態調査の経過の事実に<証拠>を総合すれば、四七総点検の実施主体は、あくまでも被告県であつて、被告県からみて被告市は被告県のいわば手足として調査にあたつたにすぎないものと認められ、このことは、急傾斜地法上の各種の権限が調査権限を含めて知事に与えられていることからも首肯されるところである。したがつて、被告市職員が調査の実際を遂行したとしても、それは、被告県が実施したのと何ら異ならないのであつて、被告市職員の過誤はすなわち被告県の過誤であるから、被告市職員の過誤を理由として県知事の予見可能性を否定することはできない。

六  県知事の権限行使の可能性と結果回避可能性

1一部原告らは、まず、県知事は直ちに急傾斜地法三条一項に基づく権限を行使して本件崩壊地を崩壊危険区域に指定することが可能であつた旨主張する。

しかしながら、県知事が本件崩壊地の具体的危険性を予見できたのは、昭和四七年八月三一日の時点であり、本件災害の発生までにわずか一五日間しかない。仮に、原告ら主張のとおり同月二〇日の時点で予見可能であつたとしても、本件災害の発生までには二六日の余裕しかない。ところで、崩壊危険区域の指定には、私権制限(急傾斜地法七条一項等参照)が伴うから、急傾斜地法所定の各種の手続を経たうえ、右区域の範囲を現地において明確に確定すること等の慎重な準備が必要であることはいうまでもない。しかも、本件事案については、前記のとおり、高知市内に限つてみても、二八七か所もの前記急傾斜地崩壊危険箇所があつたのであり、このような四七総点検の実情に鑑みれば、わずか一五ないし二六日という短期間内に、慎重な手続を経て右指定を行うことが可能であつたとは認められない。したがつて、一部原告らの右主張は採用できず、県知事につき、崩壊危険区域指定の義務は発生していなかつたものといわなければならない。

2次に、一部原告らは、県知事は基本法及び消防組織法の各規定に基づき、自ら又は被告市を通じて、本件崩壊地の具体的危険性を一部原告ら住民に周知徹底させるなどの権限を行使すべきであり、かつ、その行使は十分に可能であつた旨主張する。

右1のとおり県知事が本件災害前に崩壊危険区域指定の権限を行使することが可能であつたといえないとしても、県知事としては、右のような予見可能性があつた以上、できる限り速やかに指定できるようその準備に努めるべきであることはいうまでもない。

ところで、急傾斜地法は、急傾斜地の崩壊による災害から住民の生命及び身体を保護することを目的とし、そのために県知事に各種の権限を与えているのであつて、県知事は、急傾斜地災害から住民の生命及び身体を保護する一般的責務を負つているものと解される。また、基本法によれば、被告県は、住民の生命、身体等を保護するため、地域防災計画を作成、実施するとともに、市町村の防災事務の実施を助けるなどの責務を有し(四条一項)、その責務達成のため、県知事は、法令又は防災計画の定めるところにより、災害に関する情報の収集及び伝達に努めなければならない(五一条)と規定されている。そして、これらの法律を背景として、四七総点検の実施を命ずる前記建設事務次官通知が発せられ、総点検の実施により、「速やかに崩壊危険区域の指定を行」うべきであるが、それよりも前にまず「点検によつて得られた結果を付近住民に周知徹底せしめるとともに、緊急時における警戒避難体制の確立に万全を期」することが指示されていたのである。

他方、前記のとおり、四七総点検は、高知県下で発生した繁藤災害等を契機として実施されるに至つたものであり、県知事としては、斜面災害からの人命保護に最大の関心を払うことが特別に要請されており、しかも、高知県下においては、八月、九月は台風の影響で一年を通じて最も降雨が多く、右予見可能性のあつた昭和四七年八月三一日の時点には、なお最も降雨量の多い季節に直面していたのである。

したがつて、このような情況下にあつては、県知事は、昭和四七年八月三一日の時点に右の予見可能性があつた以上、本件災害前に崩壊危険区域指定の権限を行使することが時間的に無理な状況にあつたのであるから、右に述べたような法律及び次官通知の趣旨に基づき、右指定に至るまでの暫定措置として、防災の基礎主体たる被告市を通じて、一部原告ら住民に対し、本件崩壊地の具体的危険性を知らしめて、十分な警戒を促す権限を行使すべき義務があり、かつ、この権限の行使は、その内容に鑑みて、予見可能となつた時点から本件災害までに容易になし得たものと認められる。

3そして、県知事が、被告市を通じ、本件災害前に一部原告ら住民に対し、本件崩壊地の具体的危険性を知らしめ、十分な警戒を促す権限を行使していたならば、住民自らが事前に警戒、避難することにより、少なくとも一部原告らの人損のみは回避されていたものと認められる。

すなわち、<証拠>によれば、前記第一・三のような本件災害当時の降雨状況のなかで、高知地方気象台は、本件災害当日午後二時頃から再び強くなつた降雨につき、午後五時に大雨・波浪注意報を発令したのに続き、午後六時五〇分には大雨警報、洪水・波浪注意報を発令し、「高知県内ではところどころで局地的に強い雨が続いています。降り始めからの雨量は五〇〇ミリを超えるところもありましょう。このため中小河川は増水し、低い土地では広い範囲で浸水しましょう。また、山崩れ、がけ崩れが起こるおそれがありますので注意して下さい。なお、沿岸の海上ではうねりが高くなりましよう。」と警戒を呼び掛けていることが認められる。また、<証拠>によれば、竹内輝和は、本件崩壊の二〇ないし三〇分前頃にたまたま山すそ道路を通行したところ、本件崩壊地から小石がパラパラと落下するのを目撃し、素人ながらも崩壊の危険を感じ、わざわざ本件被害地の東方に居住する実妹方に赴いて警戒を呼び掛けていること、原告堯天久幸は、本件崩壊の直前に、戸外の大きな音を耳にして外に出たところ、本件崩壊地から落下する石が図面(一)表示の月虎商事方倉庫のトタン屋根にあたつているのを確認している(その直後に、本件災害に遭遇した。)ことが認められる。

したがつて、県知事の右権限が行使されていたならば、一部原告ら住民としても、本件崩壊地の具体的危険性を知り、不断から斜面災害の防止に留意するようになつていたであろうから、本件災害についても、右認定のような気象情報が出され、また、前駆現象としての落石が生じていた以上、これらに注意を払うことにより危険の切迫を感じて事前に避難することが可能であつたというべきであるから、一部原告らの後記人損のみは回避されていたものと認められる。

七  県知事の権限行使への期待相当性

斜面災害の具体的危険性の有無、程度は、既に述べたところから明らかなように各種の定性的要因を総合的に検討して判断されるものであるから、このような判断は、およそ一般住民の能力を超えているものといわざるを得ず、また、防災意識の昂揚についても、行政の活動をさておいて、すべてを一般住民に期待するのは相当でないから、一部原告ら住民が、自己の判断のみに基づいて斜面災害の具体的危険性を察知し、事前に避難行動をとることは、不可能又は著しく困難と認めざるを得ない。<証拠>によれば、本件災害時に、斜面災害の危険を予知して事前に避難した住民は皆無であり、原告堯天久幸、同北添哲男の家族は、いずれも自宅で団らんの最中に本件崩壊の急襲を受けていることが認められるが、この事実は、まさに一部原告ら住民の力のみでは本件崩壊のような斜面災害に対する警戒避難は不可能であることを物語つている。もつとも、<証拠>によれば、本件崩壊地の付近住民のなかには、前記のような樹木の伐採、近隣の崩壊、湧水の発生といつた事象を認識している者がいたことが認められるけれども、右事象が斜面災害の具体的危険性を判断するうえでどの程度の重要性をもつかについてはほとんど無知であつたことが認められ、しかも、前記のとおり斜面災害の具体的危険性の有無、程度に関する判断は、各種の定性的要因を総合的に検討する必要があることに鑑みれば、個々的な事象の存在を認識していたからといつて、住民自らが危険を予知して警戒避難できたとはいえない。

したがつて、斜面災害に対する警戒避難については、まず第一次的に、行政の権限の行使に期待するほかないのであり、県知事に対しては、高知市を通じて一部原告ら住民に対し、本件崩壊地の具体的危険性を知らしめて、十分な警戒を促す権限の行使が要求されていたものといわなければならない。

八  被告県の責任

以上によれば、県知事は、昭和四七年八月三一日以後本件災害前に、被告市を通じて一部原告ら住民に対し、本件崩壊地の具体的危険性を知らしめて、十分な警戒を促す権限を行使すべき義務があつたのに、少なくとも過失によつてこれを怠つたものと認められるから、被告県は、国家賠償法一条一項により、右不行使によつて生じたと認められる一部原告らの後記人損を賠償する責任がある。

ところで一部原告らのうち、原告北添哲男、同川竹隼雄は、県知事の右権限の不行使がなければ自動車の滅失も回避されていたとして、被告県に対しその賠償を請求するけれども、県知事の右権限は、要するに住民に対する警戒避難のためのものであつて、これによる保護法益は、あくまでも住民の生命及び身体に限られるべきものである。したがつて、右権限の行使によつてたまたま財産権に対する侵害が回避されることがあつても、それは反射的利益にすぎず、右請求は失当として棄却を免れない。

九  高知市長の予見可能性

1前記第四・五・1・(二)のとおり、被告市は、四七総点検に参加し、高知市内における急傾斜地の実態調査を実施し(この事実は、一部原告らの被告市との間に争いがない。)、その結果報告を昭和四七年八月二〇日までに被告県に提出しているところであるが、右認定のような四七総点検の経過等に鑑みれば、高知市内における実態調査の最高責任者である高知市長としては、昭和四七年八月二〇日の時点においては、本件崩壊地の具体的危険性を予見し得たものと認められる。

すなわち、四七総点検の実施にあたつては、「実施要領」(「実施要領」が提示されていたことは、一部原告らと被告市との間に争いがない。)及び「着眼点」を示されたうえ、被告県職員からも調査方法等について口頭説明を受けていたのであるから、本件崩壊地の調査の実際にあたつた被告市職員らに、右資料等に忠実な調査をさせていたならば、県知事の予見可能性について前記第四・五・2・(二)で述べたように、本件崩壊地の地形、植生の状況、クラックの存在とその発展状況、斜面の形成状況、湧水の発生、近隣での崩壊歴、脆弱化した表土層の存在、不透水層の存在といつた多数の定性的要因を確認し得たといわなければならない。そして、点数制基準や「着眼点」の危険度に関する記述を参考にするとともに、基本法上、防災の基礎的主体として位置づけられている被告市の長として要求される防災知識に基づき、右定性的要因の総合判断をし、かつ、降雨量と崩壊との一般的相関を考慮すれば、本件崩壊地の具体的危険性を当然予見できたものと認められる。

もつとも、前記のとおり四七総点検の主体は被告県であり、被告県からみて、被告市は被告県のいわば手足として調査にあたつたにすぎないから、四七総点検をとらえて被告県とは別個に被告市の責任を論ずることの当否が一応問題となるけれども、高知市長は、前記のとおり基本法上防災の基礎的主体として位置づけられている被告市の長として各種の権限を適切に行使すべき責務を負つており、その職責の重要性に鑑みれば、あらゆる機会を活用して右責務の遂行に努力すべきものと考えられるから、現に高知市内の実態調査はすべて被告市が行つている以上、その主体であつたか否かを問わず、これをとらえて高知市長の右権限に関する不作為責任を追求することは許されるものと解するのが相当である。

2ところで、被告市は、高知市長には、本件崩壊地の具体的危険性に対する予見可能性がなかつたとして、その理由をるる主張する。

(一) 被告市は、まず、四七総点検については、被告県が最終的責務を負つているのであり、その指示により被告市が実施した調査は、事後に被告県による本格的調査を予定するいわば予備的調査であつて、不確定要素のあることを当然の前提とする性質のものであつた旨主張する。

たしかに、四七総点検の主体は被告県であるから、実態調査の最終的責務は被告県にあるものといわなければならないが、そのことは、必ずしも被告市の調査の後に被告県自らが本格的調査を実施する責務を負つていることを意味しない。現に、<証拠>によれば、四七総点検において、市町村の調査の後、被告県による本格的調査が実施された形跡は全く窺えないばかりか、そもそも四七総点検にあたり、被告県による本格的調査は予定されておらず、被告県としては、市町村の調査結果に基づいて各種の防災対策を遂行するように考えていたことが認められ、このような被告県の対応自体は、四七総点検を命じた前記建設事務次官通知の趣旨にも合致する。したがつて、被告市の調査を予備的調査であるとし、それゆえに不確定要素を当然の前提とする旨の右主張は採用の限りでない。

(二) 次に、被告市は、四七総点検で被告市が実施した調査は、その態様や方法、担当者の能力等からして崩壊の具体的危険性を予知、予測できる性質のものではなかつた旨主張する。

公務員の権限の不行使を問責するためには、住民の法益侵害に対する具体的な危険が切迫していることを公務員が予見できたという要件を必要とすることは前記のとおりであるが、少なくとも本件事案のように自然現象による災害について論ずる場合には、右にいう具体的危険の予見とは、自然現象の発生をいわば定量的に表現して、時期、場所、規模等において具体的に予知、予測することを意味しないというべきである。けだし、自然災害の発生機構は、必ずしも学問的に十分解明されているとはいえないのであるから、右のような定量的予見を必要とするならば、ほとんどの場合に、予見不可能として行政の免責を許す結果となり、防災のため公務員に適切な権限の行使を期待して授権した法の趣旨が全く没却されるからである。翻つて考えるに、自然現象のもたらす災害は、学問的にすべてが解明されなければ防止できないというものではなく、また、そのために防災対策をゆるがせにすることはできないのであつて、当時の科学的研究の成果として、当該自然現象の発生の危険があるとされる定性的要因が一応判明していて、この定性的要因を満たしていることやその他諸般の情況から判断して、その発生の危険が蓋然的に認められる場合には、当然自然現象の発生に対応した防災措置が行政に要請されるものといえるから、右要件の具体的危険の予見も、このような意味での定性的予見で足りるものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、四七総点検において被告市が被告県から指示された調査方法は、被告市の主張のとおり、講学上の分類に従えば統計的方法による概観調査ということになるけれども、既に述べたとおり右調査方法によつても定性的予見は十分に可能であり、その調査結果に基づいて各種の防災対策をとることができるのである。もとより、四七総点検のような実態調査を実施し各種の防災対策を進めるにあたり、できるだけ詳しく物理的特性を調査して危険度を力学的な計算に基づき定量的に把握する物理的方法としての土質調査や水文調査を必要とする場合もないではないが、常にこのような本格的調査を要求することは、これ自体に多額の予算を要することを考えると、かえつて急傾斜地の実態調査やそれに基づく防災対策を後退させ、急傾斜地法や基本法の趣旨に反する結果を招来することになるものと危惧される。また、被告市の調査の態様等については、基本法上の防災の基礎的主体としての立場に鑑みれば、被告市としては、前記建設事務次官通知の趣旨にそつた万全の体制を整えて調査にあたるべきであつたといえるが、この点をさておき被告市の調査の実情をみても、<証拠>によれば、被告市は、土木技術職員一八名を六班に分けて調査にあたらせ、昭和四七年八月上旬から同月中旬までの約二週間にわたり、高知市内の急傾斜地危険箇所二八七か所を調査していることが認められるところであり、「実施要領」、「着眼点」及び被告県職員の口頭説明に基づく実態調査としては、定性的予見が可能な態様であつたといわなければならない。もつとも、右のとおり若干調査箇所数が多かつたことは否定できないけれども、被告市は、もともと基本法上、不断から情報の収集に努める責務を有しており、前記のとおり四七総点検前にも、いくたびか実態調査を実施していたのであるから、右のような責務に鑑みて過去の経験が活かされていれば、右のような態様で調査されている以上、調査箇所数のゆえに予見不可能であつたとはいえない。

したがつて、被告市の右主張も採用できない。

(三) 更に、被告市は、四七総点検において現に比島山を調査した結果、県基準によれば最下位のDランクであつたことを、予見可能性がなかつたことの一つの理由として主張するけれども、比島山、特に本件崩壊地に対する調査の実際は、前記第四・五・2・(三)のとおり、出へ登つたり、ヒヤリングを行うなどの調査はもとより、山すそを踏査することすら十分に履践されてない全く杜撰なものであり、このような調査の結果がたまたま最下位のDランクであつたからといつて、それを理由に予見不可能であつたということはできない。なお、被告市は、被告市職員には、県知事と違つて立入権限がないのであるから、山中へ立ち入るような調査は法的に不可能であつた旨主張するが、被告県の指示を受けて急傾斜地の調査にあたる者は、急傾斜地法五条一項所定の立入権限を有するものと解されるから、右主張は採用できない。

一〇  高知市長の権限行使の可能性と結果回避可能性

1右のとおり、高知市長は、四七総点検の実施により昭和四七年八月二〇日の時点においては、本件崩壊地の具体的危険性を予見できたのであるから、できる限り速やかに前記第四・二のような権限、すなわち右具体的危険性を一部原告ら住民に知らしめて十分な警戒を促す権限を行使すべき義務があり、かつ、この権限の行使は、その内容に鑑みて、本件災害前までに容易になし得たものと認められる。

もつとも、<証拠>によれば、被告市は、かねてより急傾斜地について、その危険性を住民に公表したり、あるいは、豪雨の際に避難の勧告・指示を出すなどの警戒避難のための措置はとつておらず、四七総点検後も、このような方針ないし態度は全く変らず、実態調査で危険度のランクづけが高いとされた急傾斜地についても全く同様であつたことが認められる。しかしながら、<証拠>によれば、昭和四六年九月二一日付消防庁長官通達は、各地方自治体に対し、災害時の人命の安全確保に関し、災害危険区域の実態の把握、避難計画の作成、危険区域の警戒、早期避難の指示及び防災思想の普及といつた事項について十分留意するよう指示しており、また、高知県のレベルにおいても、各市町村に対し、昭和四七年六月七日付で総務部長から「梅雨期における災害対策について」と題する通知がなされたのに続いて、同年七月一三日付で高知県災害対策本部長から「梅雨末期の災害対策について」と題する通知があり、「危険区域の再点検と警戒巡視体制の再検討」として「繁藤山崩れの大災害による教訓を活かして、これら対策の再確認を急ぐとともに、関係住民に対して周知徹底さすこと」を、「避難計画の再確認」として「避難の勧告並びに指示等は早目に行うことに努め、災害の予防に努めること」等を指示していることが認められる。そして、四七総点検を指示した前記建設事務次官通知自体、やはり「点検によつて得られた結果を付近住民に周知徹底せしめるとともに、緊急時における警戒避難体制の確立に万全を期せられたい。」旨指示していたことは既に述べたとおりである。そうすると、右のような被告市の態度は、基本法の趣旨のみならず、右通達等にも明らかに違背するものと評価せざるを得ないから、権限行使の可能性を論ずるにあたつて考慮すべき事情とはなり得ない。

ところで、被告市は、急傾斜地に対する調査結果については、高知市長にこれを公表する権限はない旨主張する。たしかに、急傾斜地法上は、崩壊危険区域の指定があつた箇所について警戒避難体制を整備することのほか、被告市ないし高知市長には何の権限もない。しかしながら、高知市長は、前記のとおり基本法上、当該地域における具体的危険性を住民に知らしめる権限を有しているところ、その権限の行使については、何の制限もなく、いかなる機会に知り得た情報であつても、防災に有用である限り、これに基づいて右権限を行使すべきものと解される。したがつて、高知市長は、急傾斜地に対する調査の結果、具体的危険性のあることが判明した場合には、崩壊危険区域の指定等県知事の権限の行使とは関係なく、具体的危険性の存在を関係住民に公表することができるのであるから、被告市の右主張は採用の限りではない。

2そして、高知市長が、本件災害前に一部原告ら住民に対し、本件崩壊地の具体的危険性を知らしめて、十分な警戒を促す権限を行使していたならば、住民自らが事前に警戒、避難することにより、少なくとも一部原告らの人損のみは回避されていたと認められることは、前記第四・六・3で県知事の権限行使による結果回避可能性について述べたことと同様である。

一一  高知市長の権限行使への期待相当性

一部原告ら住民自らが斜面災害の具体的危険性を予知して警戒避難することは、不可能又は著しく困難であつて、斜面災害に対する警戒避難については、まず第一次的に、行政の権限の行使に期待するほかなかつたことは前記第四・七のとおりであつて、高知市長に対しても、一部原告ら住民に対し、本件崩壊地の具体的危険性を知らしめて、十分な警戒を促す権限の行使が強く要請されていたものといわなければならない。

一二  被告市の責任

以上によれば、高知市長は、昭和四七年八月二〇日以後本件災害前に、一部原告ら住民に対し、本件崩壊地の具体的危険性を知らしめて、十分な警戒を促す権限を行使すべき義務があつたのに、少なくとも過失によつてこれを怠つたものと認められるから、被告市は、国家賠償法一条一項により、右不行使によつて生じたと認められる一部原告らの後記人損を賠償する責任がある。

ところで、一部原告らのうち、原告北添哲男、同川竹隼雄は、高知市長の右権限の不行使がなければ自動車の滅失も回避されていたとして、被告市に対しその賠償を請求するけれども、前記第四・八で県知事の権限の不行使について述べたと同様の理由により、右請求は失当として棄却を免れない。

一三  被告県の責任と被告市の責任との関係

右については、各被告につき独立の不法行為が成立しているのであるから、被告県、被告市は、連帯(不真正連帯)して、一部原告らの人損を賠償する義務がある。

一四  不可抗力の主張について

被告県は、本件災害は、予知、予測を超えた異常豪雨により発生したものであつて、不可抗力による天災である旨主張し、被告市も、ほぼ同旨の主張をするけれども、右被告両名の不作為責任が肯定されるのは、前記のとおり県知事については、被告市を通じて一部原告ら住民に対し、本件崩壊地の具体的危険性を知らしめて、十分な警戒を促す権限であり、高知市長については、直接、右と同様のことを行う権限に関してであるから、災害当時の降雨量は、その不作為責任の成否と無関係といわなければならない。けだし、右の権限が行使されていれば、たとえ不可抗力的な集中豪雨があつたとしても、それを記録する前に、一部原告ら住民が自主的に警戒避難することによつて一部原告らの後記人損は回避されていたものと考えられるからである。もつとも、右の各権限が行使されていたとしても、住民が警戒避難するいとまもないほどの急激な集中豪雨によつて斜面災害が生ずる場合も考えられないわけではないけれども、本件災害当時の降雨が、それほど急激な集中豪雨でなかつたことは、前記第一・三の降雨状況からして明らかである。

のみならず、本件災害当時の集中豪雨の状況は前記第一・三のとおりであり、特に本件災害当日午後六時から七時までの時間雨量91.5ミリは、高知市における九月期の時間雨量としては過去の記録を更新するものであつたことが注目されるけれども、前出丙第一〇号証によれば、高知市における昭和六年から昭和三五年までの各月別の最高降雨量をみると、時間雨量で106.8ミリ、102.2ミリ、日雨量で370.8ミリ、364.3ミリといつた記録があり、時間雨量、日雨量とも本件災害時の降雨量をかなり上回つていること、本件災害当時、高知市地域防災計画においては、集中豪雨による災害想定の基準として、最大時間雨量一〇六ミリと定められていたことが認められるのであるから、そもそも本件災害当時の集中豪雨自体、予知、予測できなかつたものとはいえないのである。

したがつて、いずれにしても被告県、被告市の右主張は失当である。

第五  原告らの損害

一  原告堯天久幸、同堯天弘子の損害

1<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

原告堯天久幸(昭和九年四月二六日生まれで、本件災害当時、高知新聞社勤務の会社員であつた。)、同堯天弘子(昭和一一年九月一七日生)夫妻は、長男信博(昭和三六年六月二九日生)、長女園枝(昭和三八年四月二四日生)とともに昭和三八年二月から本件被害地に居住していた。本件災害当日は、原告弘子が長女園枝を連れて実父の長寿を祝う会に出かけ、原告久幸と長男信博とは留守番をしていたが、午後六時三〇分頃には、原告弘子らも帰宅した。その後、まもなく原告弘子の実姉の川竹親栄と長男守が立ち寄り、同人らを交えて家族全員でテレビをみたり、雑談に興じたりしていたところ、前記第四・六・3のとおり原告久幸が戸外の大きな音を耳にして外へ出るやいなや、本件崩壊が発生して急激かつ大量の土砂が落下してきたため、自宅は押しつぶされ、原告久幸ら全員が土砂や家屋の下敷きとなつた。そのため、当時、毎日元気に江陽小学校へ通つていた長男信博と長女園枝は死亡し、原告ら両名は九死に一生を得たものの、原告久幸は、四時間余も生埋めの苦痛を味わされたうえ、右下腿部挫滅創、右下腿骨委縮症、足根骨開放性骨折等の傷害を負い、そのため、昭和四八年二月一五日まで入院治療を受けたが右下腿脱力、歩行機能の低下といつた後遺症が残り、これにより身体障害者四級の認定を受けており、また、原告弘子は、原告久幸と同様生埋めとなつたところへ、付近住家の倒壊によるプロパンガスの爆発、延焼があつたため、左上腕部・左下腿部・左側背部火傷、両下腿部挫創等の傷用を受け、昭和四八年三月未まで入院して五回にわたる手術を受けたが右火傷部のケロイド禍、左上腕挙上不自由の後遺症が残つた。

2そこで、右認定事実に基づいて原告久幸、原告弘子の損害について検討する。

(一) 亡信博及び亡園枝の逸失利益

右両名は、ともに健康な児童であつたのであるから、本件災害によつて死亡しなければ、満一八才から満六三才までの四五年間は稼働でき、その期間中、昭和四六年度高校卒男女の初任給額を下らない収入を得ていたものと推認される。昭和四六年度賃金構造基本統計調査報告(労働省)第九表によれば、右初任給は、月額で男子が三万七三〇〇円、女子が三万四〇〇〇円であるから、これによる収入を基礎として、いずれについても、右稼働期間を通じて控除すべき生活費を五割とし、中間利息の控除につきホフマン式計算法を用いて死亡時における逸失利益の現価額を算定すれば、左記のとおり亡信博につき金四三三万八八一〇円、亡園枝につき金三七七万九五〇八円となる。

(亡信博)

(亡園枝)

原告久幸、原告弘子は、右両名の父母であるから、同人らの死亡によりそれぞれの逸失利益を二分の一ずつ相続したものであつて、右各原告の相続分の合算額はそれぞれ金四〇五万九一五九円である。

(二) 亡信博及び亡園枝の死亡による慰謝料

原告久幸、原告弘子が右両名の死亡により受けた精神的苦痛には計り知れないものがあると認められるが、本件災害の発生時期、態様その他本件に現われた諸般の事情を総合考慮すれば、結局のところ、慰謝料は右各原告につきそれぞれ金三五〇万円をもつて相当と認める。

(三) 葬儀費用

亡信博及び亡園枝の葬儀が原告久幸の手によつて行われたことは、<証拠>により明らかであり、当時、右葬儀に通常要すべき費用としては、金一五万円を下らなかつたものと認められるから、原告久幸は、本件災害のために右支出を余儀なくされたといわなければならない。

(四) 原告久幸、原告弘子の受傷による慰謝料

右1の事実及び本件に現われた諸般の事情を総合考慮すれば、右慰謝料としては、右各原告につきそれぞれ金五〇万円をもつて相当と認める。

(五) 小計

以上の損害を合算すると、原告久幸が金八二〇万九一五九円、原告弘子が金八〇五万九一五九円となる。

二  原告北添哲男、同北添八重子の損害

1<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

原告北添哲男、同北添八重子夫妻は、長男真樹男(昭和三一年二月一日生)、長女詩奈子とともに昭和三五年春から本件被害地に居住していたものであり、本件災害当時は、家族全員で食事をすませてくつろいだり、食事のあと片付けをしたりしていたところ、突然本件崩壊が発生して、崩落した土砂によつて家屋が押しつぶされ、右原告らと長女詩奈子は無事であつたものの、長男真樹男は、倒壊した家屋の下敷きとなつて死亡した。真樹男は、当時土佐高等学校二年に在学し、医師になるべく大学進学を目指して勉学にいそしんでいたものであり、学業成績も優秀であつた。

2そこで、右認定事実に基づいて原告哲男、原告八重子の損害について検討する。

(一) 亡真樹男の逸失利益

亡真樹男は、大学進学を目指して高知県下で有数の進学校に学び、学業成績も優秀であつたというのであるから、本件災害により死亡しなければ、大学卒業後、満二二才から満六三才までの四一年間は稼働でき、その期間中、昭和四六年度大学卒男子の初任給額を下らない収入を得ていたものと推認される。昭和四六年度賃金構造基本統計調査報告(労働省)第九表によれば、右初任給は月額四万六四〇〇円であるから、これによる収入を基礎として、右稼働期間を通じて控除すべき生活費を五割とし、中間利息の控除につきホフマン式計算法を用いて死亡時における逸失利益の現価額を算定すれば、左記のとおり金五二〇万五八〇一円となる。

原告哲男、原告八重子は亡真樹男の父母であるから、同人の死亡によりこれを二分の一ずつ各金二六〇万二九〇〇円あて相続したものと認められる。

(二) 慰謝料

原告哲男、原告八重子が亡真樹男の死亡により受けた精神的苦痛は甚大であると認められるが、本件災害の発生時期、態様その他本件に現われた諸般の事情を総合考慮すれば、右各原告の慰謝料はそれぞれ金一七五万円をもつて相当と認める。

(三) 葬儀費用

亡真喜男の葬儀が原告哲男の手によつて行われたことは、<証拠>により明らかであつて、当時、右葬儀に通常要すべき費用としては金一五万円を下らなかつたものと認められるから、同原告は、本件災害のためにその支出を余儀なくされたということができる。

(四) 小計

以上の損害を合算すると、原告哲男が金四五〇万二九〇〇円、原告八重子が金四三五万二九〇〇円となる。

三  原告川竹隼雄、同川竹雄二の損害

1<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

本件災害当日、原告隼雄の妻親栄(大正一四年九月一〇日生)と長男守(昭和二一年一二月一日生)は、高知市幸町の四宮家で開かれた親栄の実父の長寿を祝う会に出席した後、守の運転する普通乗用車で高知市高須の自宅へ帰る途中、浸水による通行不能のため午後六時三〇分すぎ頃、親栄の実妹の原告堯天弘子方に立ち寄り水が引くのを待つうち、本体崩壊に遭遇し、両名とも倒壊した原告堯天方家屋の下敷きとなつて死亡した。

当時、亡親栄は、主婦として家事に従事するかたわら、呉服店の下請で和服仕立てをしていくばくかの収入を得ていたものであり、また、亡守は、ハザマ共栄堂薬房に勤務する会社員であり、同人の昭和四七年分の給与所得(ただし、九月一五日までの給与及び賞与)は四九万八五五六円であつた。

なお、原告隼雄と亡親栄との間には、二男の原告雄二がいる。

2そこで、右認定事実に基づいて原告隼雄、原告雄二の損害について検討する。

(一)(1) 亡親栄の逸失利益

亡親栄は、主婦として家事に従事するかたわら和服仕立てをしていくばくかの収入を得ていたのであるから、本件災害により死亡しなければ、満六三才までの一六年間は稼働でき、その期間中、昭和四六年度における女子の平均年収額に相当する収入を得ていたものと推認される。しかして、昭和四六年度賃金構造基本統計調査報告(労働省)第三表、産業計、企業規模計、学歴計、全年令計、女子労働者の平均年収額は五八万八七〇〇円であるから、これを基礎として、右稼働期間を通じて控除すべき生活費を配偶者がいたので右収入の三分の一とし、中間利息の控除につきホフマン式計算法を用いて死亡時における逸失利益の現価額を算定すれば、左記のとおり金四五二万七四九五円となる。

(2) 亡守の逸失利益

亡守の昭和四七年分の収入は四九万八五五六円であるが、これは九月一五日までの給与及び賞与に限られているから、年間を通じれば、右金額からして原告ら主張の七二万円を下らない収入があつたものと推認される(ちなみに、昭和四六年度賃金構造基本統計調査報告(労働省)第三表、産業計、企業規模計、学歴計、全年令計、男子労働者の平均年収は一一七万二二〇〇円であつて、右金額を大きく上回つている。)。本件災害により死亡しなければ、満六三才までの三八年間、右金額を下らない収入を得ていたものと認められるから、これを基礎として、右稼働期間を通じて控除すべき生活費を五割とし、中間利息の控除につきホフマン式計算法を用いて死亡時における逸失利益の現価額を算定すれば、左記のとおり金七五四万九二〇〇となる。

(3) 相続

原告隼雄は、亡親栄の夫であり、かつ、亡守の父であり、原告雄二は、亡親栄の子であるから、亡親栄の逸失利益については、原告隼雄が三分の一を、原告雄二が三分の二を相続し、また、亡守の逸失利益については、原告隼雄がすべて相続したものであり、その金額は、左記のとおり原告隼雄が金九〇五万八三六五円、原告雄二が金三〇一万八三三〇円である。

(原告隼雄)

(原告雄二)

(二) 慰謝料

原告隼雄が前記両名の死亡により受けた精神的苦痛及び原告雄二が亡親栄の死亡により受けた精神的苦痛には計り知れないものがあると認められるが、本件災害の発生時期、態様その他本件に現われた諸般の事情を総合考慮すれば、原告隼雄の慰謝料は金六〇〇万円、原告雄二の慰謝料は金二〇〇万円をもつて相当と認める。

(三) 葬儀費用

右両名の葬儀が原告隼雄の手によつて行われたことは、<証拠>により明らかであり、当時、右葬儀に通常要すべき費用としては金三〇万円を下らなかつたものと認められるから、同原告は、本件災害のために右支出を余儀なくされたものといわなければならない。

(四) 小計

以上の損害を合算すると、原告隼雄が金一五三五万八三六五円、原告雄二が金五〇一万八三三〇円となる。

四  弁護士費用

右原告らが、被告県、被告市から右損害賠償額の任意の支払を受けられないので、やむなく本訴の提起遂行を弁護士である本件原告ら訴訟代理人に委任したことは、弁論の全趣旨によつて明らかであるところ、本件事案の難易、審理経過、本訴認容額等諸般の事情を考慮すれば、本件災害と相当因果関係のある損害として右原告らが支払を求め得る弁護士費用は、左記の金額が相当というべきである。

原告堯天久幸  金 八二万円

原告堯天弘子  金 八〇万円

原告北添哲男  金 四五万円

原告北添八重子  金 四三万円

原告川竹隼雄  金一五三万円

原告川竹雄二  金 五〇万円

第六  結論

以上のとおりであつて、別表(一)記載の原告らの被告県、被告市に対する各請求は、同表欄記載の損害賠償金及びこれから弁護士費用を除いた同表欄記載の金額に対する本件災害発生の日である昭和四七年九月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、右原告らの被告深瀬、被告会社に対する各請求及びその余の原告らの被告市を除く被告ら三名に対する各請求は、いずれも理由がないので棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項を適用し、仮執行宣言は相当でないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(山口茂一 坂井満 大谷辰雄)

別表(一)

単位 円

番号

原告名

堯天久幸

九〇二万九一五九

八二〇万九一五九

堯天弘子

八八五万九一五九

八〇五万九一五九

北添哲男

四九五万二九〇〇

四五〇万二九〇〇

北添八重子

四七八万二九〇〇

四三五万二九〇〇

川竹隼雄

一六八八万八三六五

一五三五万八三六五

川竹雄二

五五一万八三三〇

五〇一万八三三〇

別表(二)

単位 万円

被告深瀬、被告会社、

被告県に対する請求金額

被告市に対する請求金額

番号

原告名

堯天久幸

一九五六

一七七九

一六七二

一五二〇

堯天弘子

一六五〇

一五〇〇

一六五〇

一五〇〇

北添哲男

一四八三

一三四九

九〇四

八二二

北添八重子

八三六

七六〇

八三六

七六〇

川竹隼雄

二一六三

一九六七

二一六三

一九六七

川竹雄二

八八六

八〇六

八八六

八〇六

井口艶子

七九

七二

尾原千鶴枝

六五八

五九九

開発展之

二二〇

二〇〇

有限会社

月虎商事

二一二

一九三

高田正一

七三

六七

田内要吉

一九八

一八〇

八木信

六九

六三

別表(四)

1.ランクづけの基準

ランク

点 数

備   考

自然斜面

人工斜面

A

9点以上

15点以下

B

6点~8点

9点~14点

C

5点以下

8点以下

2.配点基準

要   因

点 数

備   考

自然斜面

人工斜面

高さ

10m以上

7

7

10m未満

3

3

傾斜度

45°以上

1

1

45°未満

0

0

オーバーハングの有無

3

3

0

0

表土の厚さ

a(0.5m以上)

1

1

b(0.5m未満)

0

0

湧水等の有無

1

1

がけ上に奥行10m以上の平坦而がある場合を含む。

0

0

崩壊の有無

3

3

0

0

急傾斜地崩壊防止

満足

0

工事の技術的基準

不満足

3

人為的工事によって、各要因による危険が

消滅しているものは、その要因がないものとして計算する

構造物等の異常の有無

3

0

別紙

別紙

別紙

別表(三)

崩壊

地すべり

運動形

土塊の塑性流動

すべり面上のマスムーブメント

運動速度

含水量

流水との関係

伏流水よりも浸透水の影響が大

浸透水よりも伏流水の影響が大

傾斜との関係

地質との関係

植生との関係

発生場所

谷頭ないし溪岸

山腹凹部ないし山ろく

発生の引金作用

パイピアグ

すべり面の含水膨潤

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